【大分市】四国・土佐の武将の墓が大分に!?歴史散策で戸次に行ってきました♪
大分市の上戸次に、土佐(高知県)の武将・長宗我部信親の墓があるのをご存知でしょうか。
なぜ土佐の武将の墓が大分市に?と疑問に思い、現地に行ってきました♪
山の中にひっそりとたたずむ…と思いきや、周りには他にも慰霊碑がありました。
よく見ると、「鶴ヶ城戸次川原合戦之碑」とあります。
どうやら、この場所には戸次川原の合戦で戦死した武将たちが祭られているようです。
戸次川原の合戦とは、1586年、薩摩の島津家久が豊後に侵入してきた際に、鶴賀城の利光宗魚が抵抗・討ち死にした戦いに端を発します。
この知らせを受け、豊臣秀吉が土佐の長宗我部信親らを豊後に派遣。島津軍20,000人と大友・四国連合軍6,000人との壮絶な戦が始まります。
その戦の中で、長宗我部信親は獅子奮迅の活躍を見せます…が、多勢に無勢。22歳という若さで壮絶な戦死をすることになりました。
と、これに書いてありました(笑)
おそらく、信親の働きに薩摩軍も目を見張るものがあったのでしょう。島津氏によって、信親は山崎に葬られたそうです。
ちなみに、最初の写真。信親の墓だと思ったのですが、正しくはコチラが長宗我部信親の墓になります。
他にも戸次川原の合戦で共に戦った十河一族や…
多田一族の慰霊碑が。
これらの慰霊碑の他に…
彼らの霊を鎮めるためでしょうか?
さらには…
「大師講」とあるので、弘法大師と関連があるのでしょう。
弘法大師と言えば、四国八十八ヶ所。長宗我部信親は四国の武将なので、その関係かもしれません。
このように、歴史散策はもちろんですが、ちょっと神秘的な雰囲気も味わえる場所でした♪
初夏の日差しと共に、大分の隠れた名所を訪れてみてください♪
[map]長宗我部信親墓[/map]
(にす)
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